激減した収入が ひとつの転機となり、随分と所有品を手放せるようになりました。
欲しいモノを増やさないためにも、新製品に“興味を持たない”という苦行。その結果、所有している家電さえも興味が薄れていました。逆に言えば、生活のゆとりが モノへの執着を高めていたのカモ知れません。つまり、“捨てられない”という症状は 一種の贅沢病なのだと思うのです。
残念ながら、過去の自分も同様の贅沢病にかかっていました。大量の不用品を抱え込むほどムダなものはありません。なかなかの重傷でしたが、ここ最近で ようやく意識の改善ができるようになりました。
とにかくモノが捨てられない
過去の自分も、非常に荷物が多い人間でした。
学生時代の引越は 単身パックが 7つ分にもなるという異常ぶりで、引越どころか 部屋の模様替えさえもままならない状態でした。
欲望のままに買い続けていたために、9帖の部屋は あっという間に満杯。“オタクは人の 3倍場所を取る”とは、よく言ったもので、とにかく収集癖がヒドイ。あらゆるものが捨てられない性格でした。
そして、収集品の多くが 一定期間が過ぎると不用品に変わるという事実。
把握できない量になると、状況は悪化するばかり。「大事なモノが入っている」というのは名ばかりで、久々に掘り返すと すべて不用品だったという結末を迎えます。中には、日の目も見ないうちに一定期間が過ぎ去ってしまい、そのまま処分されてしまうモノも珍しくありませんでした。
ゆとりから生まれる モノへの執着
結局、不要なモノが多すぎるのです。
勿体ないからとか、いつか使うから…と持ち続けていても、引越の度に不用品となっていてはキリがありません。商品の箱や 古い携帯電話なんて、その代表格。大事に取っておいたところで、活用できた記憶がありません。
捨てられないなんて 物持ちの良さそうな響きですが、この時点で 勿体ないと感じているモノの大抵は、他人からはゴミに見えているという点が大きな違い。ゴミへの執着は、世界の“モッタイナイ”とは異なるのです。
明確な料金が発生していなかったとしても、所有するには見えないコストがかかります。こういったムダなモノでも所有してしまう癖が出てしまうのは、普段の生活に見えないゆとりが存在しているからこそ。
結局、ゆとりがあるから、無駄なモノへのコダワリや執着が生まれるのだと感じています。
なんでも容易に手に入れてしまう環境が、安易にムダなモノを増やしてしまう。維持しておける余力があるから、処分する経験が不足するのではないかと。
本当のゆとりを楽しむ生活
資産に余力がなくなってくると、なにかを購入するたびに深く考えます。
どれくらい利用するのか、既に似たようなモノは無いか、所有品で対応できないか――。
以前から、当然のように考えていたつもりでも、まったく真剣さが足りていなかった様子。引越をする度に出てくる処分品をみれば、その浅さを反省せざるを得ません。何度も何度も失敗を重ね、ようやく愚かな自分に気が付くコトができました。
必要なモノを購入し、不要なモノに出費をしない。
以前は買えないストレスで発狂しそうでしたが、今は不用品が増えそうで購入するのをためらうくらい。贅沢病からの脱出から生まれる “本当のゆとり”。この歳になり、ようやく心地よいゆとりを感じています。
はじめまして 捨てられない 執着の検索でこちらに来ました。
贅沢病・・確かにそうですね。
私の家族の一人が まさにオタクです。
ストレスから買い物に走るのかと 思いましたが買い物出来る
金銭的な余裕があるからですね。
欲しいという物欲は 買っても買っても終わりがないですね。
本当に必要なモノで心豊かに暮らせるように鳴って欲しいな・・と
思います。
>茜雲さん
コメントありがとうございます。
私もオタク的な要素があり、色々と買い集めている時期がありました。
買うことで(出費することで)ストレスが発散できるとも勘違いしていました。本当にキリがなく、結果としては追い込まれるばかりです。
不必要なモノたちから解放される自由さは、本当に心地よいものでした。
“余裕がある限り” 考え方を変えるのは難しいと思いますが、家族の方にも ぜひ体感して頂きたいですね。