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福島に (一瞬)戻りました

またも久々に戻ってきた地元「福島」。

こんにちは。 一瞬、地元に戻ってきた岩崎です。

お盆の時期というコトで戻ってきたワケですが、そういった家庭の行事で戻ったのは初めてカモ知れません。これまで、お盆だろうが 正月だろうが、実家に帰ったコトはありませんでした。
1人暮らしを初めて、9年目のお盆。ついに帰省した理由には、母親の長期的な計画がありました。

今年は 色々と身内の年忌法要が重なっており、ちょっとした節目のお盆でした。
そんな節目を利用し、離ればなれになった家族を集めようというのが母親の計画。

医王寺で販売されていた地蔵尊ストラップ。

気がつけば 兄弟全員が 1人暮らしを始め、散らばって生活をしています。

子供がやりたいようにやらせるという方針があるようで、1人暮らしを辞める家風ではありません。1人で生活できるように、むしろ追い出すような形です。
本当は 1番寂しいくせに。

妹などは 頻繁に帰っているようですが、肝心の長男(自分)が帰ってこない。
実際、家庭の用事で帰ったコトがなく、お正月なども実家で過ごした記憶が 1度しかありませんでした。

母親が動き出したのは、恐らく今年の初めくらい。電話で様子を伺われていたような気がします。
4月には、より具体的な日程なども計画され、メールが飛んできました。

7月12日に 13回忌 17回忌を やりますから 休みをとって 来てください

この時は、まだ 12日の予定でした。
それから家族全員を集めるという計画が本格的に動き出し、電話やメールなど、連絡を取るたびに言われるようになります。「7月」だよと。

そこまで言われてしまっては、行けないとは言い難い。また集合写真でも撮るのでしょうか。
少し仕事が重なる時期ではあったのですが、夏期休暇を利用し 地元に帰るコトにしました。

ただし、取れる休みは 1日まで。日帰りで往復するという、ハードスケジュールです。


懐かしくて、どこか新鮮な福島

松尾芭蕉が立ち寄ったという「医王寺」。奥には義経公の石像があります。

こうして、久々にやってきた福島。前回戻ってきたのは、クラス会の時でしょうか。

とりあえず、年忌法要を済ませてしまいます。
場所は、松尾芭蕉や義経関係で有名な「医王寺」。塔婆なども用意して頂き、お墓参りに行ってきました。

もう 13回忌なんですね。
そんなにも時間が経っていたコトに驚きですが、その分の成長は見せられたかと思います。フリーから社員になったコトでも、母親も喜んでいましたが。

その後は、家族で食事などをしながら、福島巡りをしていました。
いつも、なにか別件の予定があって帰省するので、こうして家族でゆっくりするコトは本当に久しぶりでした。またシワの増えた母親は、ニコニコと笑っています。


お土産で購入した「赤ベコ」。525円。

改めて福島を見直すコトができたのは、とても新鮮で楽しかったです。
こけしや、キビタン、福ちゃん牛乳…。当たり前のような存在だったモノが こんなにも懐かしいなんて、ちょっと感激。

お土産コーナーでは、「みちのく戦隊 フクシマン」という、謎めいたキャラクターも発見。
メンバーは、赤ベコレッド、ピーチピンク、白虎隊ホワイトの 3人。みちのくの地、福島から 日本の平和を守るために登場したんだそうです。発想はオモシロイけど、3体別売ってのがなぁ。

おみやげには、本物の赤ベコを購入してきました。
キーホルダーなどではなく、純正品。サイズも適度だし、テレビの横に置いておこうと思います。テレビを観るたびに、福島を感じたいと思います。


家族全員での写真撮影

妹の被害に遭う、可哀想なグレープフルーツ達。

こうして、あっという間に 1日が終了。
明日の仕事もあるので、少し早めに帰ってきました。池袋には 22時過ぎに到着。

無事に年忌法要は行えたし、家族も揃ったし、充実した夏期休暇でした。

…と言いたいところですが、実は家族全員が揃ったワケではありません。3人兄弟なのですが、真ん中の妹が揃わずじまいで終わってしまったのです。事前情報では 帰ってくると聞いていたのですが、結局 来るコトはありませんでした。

昔から、実家の表札の「崎」が間違っています(一画多い)。

家族全員で写真を撮りたい…と、口癖のように言っていた母親。
きっと、その予定も盛り込まれていたと思うのですが、それを実現してあげるコトはできませんでした。

自分は、真ん中の妹の連絡先を知りません。
それどころか、10年以上 口を聞いたコトがありません。顔を合わせた記憶もなく、道ですれ違っても判る自信がないくらいです。
妹が兄弟を避けているというか、あまりベラベラ話すタイプではなかったように思えます。自分とは実に対照的。まだ実家に住んでいる時も、家族と一緒に食事はしていませんでした。

兄弟の意地というか、そのままタイミングを逃して離ればなれ。家族で唯一、母親だけが連絡を取っています。ただし、母親さえも 生活の詳細を知りません。

ココ10年、まったく興味がない状態で過ごしてきましたが、いい加減 その沈黙を破る必要がありそうです。
使い捨てカメラでもよいから、家族全員の笑顔を 1枚に収める。大事なのは画質などではなさそうです。母親が言い続けていた意味が、ようやく分かってきた 1日でした。


…と言うコトで、近いうちに帰る予定はないのですが、それまでに色々と準備するモノは増えたようです。それでは今日はこの辺で…。^-^/~

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