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江戸六地蔵を巡ってきました (後編)

江戸六地蔵の1体がある霊巌寺。

昨日、ついに実行された「江戸六地蔵参拝計画」。

都内に存在する地蔵を巡るという企画です。
今年の 1月から計画されていたのですが、なかなか隊員とのスケジュールが合わずにいました。

詳しくは昨日の日記を読んでいただくとして、今日は続きを書いていこうかと思います。

15:29 永代寺 (門前仲町駅近辺)

永代寺は廃寺となり、同時に地蔵も鋳潰されてしまう。

品川を後にし、やってきたのは門前仲町。
しかし、ココには江戸六地蔵は存在しません。

実は「廃仏毀釈」によって、永代寺は廃寺となり、同時に江戸六地蔵は鋳潰されてしまいました。東京都教育委員会の案内にも“消滅”と書かれています。
元々、深川公園がある場所に永代寺があったらしいのですが、現在は園内に永代寺跡の碑文が残るのみ。

手持ちの資料だけでは場所が分かりにくかった為、見つけるのに時間がかかってしまいました。これは大きなタイムロス。

廃寺となってしまった永代寺は、場所を変えて近くに移転しています。
せっかくなので、移転先の永代寺にも寄ってきました。

旧永代寺は、現在の深川不動尊を含む深川公園一帯の敷地を持った広大なお寺だったらしいのですが、移転先は随分と小さなモノ。江戸六地蔵に代わるモノもありませんでした。

様々な方々によって造立された江戸六地蔵が、鋳潰されてしまったとは非常に残念です。


松尾芭蕉とツーショット

人間の身長ほどあるアンパンマンオブジェ。目的が不明です。

次の目的地である霊巌寺までは、約1.5km。
歩いて行けば 15分ほどで到着できそうだったので、歩いていくコトにしました。

焼き鳥を食べたり、妙なオバサンに話しかけられたりと、寄り道だらけの道中でしたが、色々と発見があって楽しかったです。

深川不動尊沿いの道では、あげまんを販売中。
庶民的な感じではなく、ちょっとシャレた店内だったので、1つ購入してみるコトにしました。

直径 5cm程度の揚げ饅頭ですが、1つ 200円と意外に高価。
さっそく食べてみたのですが、冷たいのが残念。温かいのを想像していました。揚げてある味わいの中に、甘い餡子が溢れてきて、なかなか美味しかったです。1つ 100円だったらオススメなのですが。


忽然と現れた松尾芭蕉。顔が怖いです。

さらに足を進めていると、副隊長が「あれ松尾芭蕉じゃね?」と言い出します。え?と思って道路の向こう側を見てみると、縁台に腰掛ける松尾芭蕉を発見!

思わずテンションが上がってしまい、一緒に記念撮影。予期せぬところで、松尾芭蕉とのツーショットが実現しました(笑)。

近くの碑文によると、採茶庵跡と書かれています。
後から知ったのですが、ココから奥の細道に出発したそうです。なにげに凄い場所だったのですね。


16:06 霊巌寺 (清澄白河駅近辺)

霊巌寺の江戸六地蔵。なかなか立派な寺内でした。

色々と寄り道してしまい、思っていたよりも時間がかかってしまいましたが、なんとか霊巌寺に到着。
広くてキレイな寺内に、江戸六地蔵を発見しました。1717年造立。

これまでの寺院とは違い、地蔵様の周りには緑が豊富で、手入れも行き届いている様子。
ただ、台座には腐食による穴が開いていました。こういうところは見落としがちなのでしょうか?せっかくなので、台座の中を撮影してくれば良かったです。

また、この霊巌寺には松平定信のお墓もあるというコトで、そちらにも足を運んできました。
しかし、堅く門が閉ざされ、中に入るコトはできないようです。


17:10 東禅寺 (南千住駅近辺)

東禅寺の江戸六地蔵。仏ホクロが輝いています。

江戸六地蔵参拝も、いよいよ最後の 1体。
ラストは、東禅寺にある江戸六地蔵を見てきました。1710年造立。

東浅草というバス停が近いというコトで、バスで移動。初めて、バスのSuica(PASMO)を利用しました。

ウキウキでやってきた東禅寺でしたが、門が閉まっており、寺内に入るコトができませんでした。寺院が閉まってしまうというのは想定外。

危うく拝観できないかと思ったのですが、外からでも目立つ位置にあったのは不幸中の幸い。無事に写真を撮るコトができました。
実際に見ている時も気になったのですが、ナゼか仏ホクロが輝いています。改めて金箔でも当てたのでしょうか?

こうして、すべての江戸六地蔵を参拝するコトができました。


18:27 浄名院 (鶯谷駅近辺)

もぅ1体の江戸六地蔵がある浄名院。暗すぎて何にも見えません。

こうして、すべての江戸六地蔵を参拝したワケですが、実はもぅ 1体の隠れ地蔵がいます。
それが、浄名院の地蔵様。1906年造立。

永代寺の地蔵様が鋳潰されてしまったコトは、先ほど記述した通りですが、その代わりとして浄名院が名乗りをあげているようです。

まったく造詣が異なるモノですが、6番目の江戸六地蔵として再建されたそうで、台座には“六番”という文字が刻まれているそうです。
その為、この浄名院も参拝コトにしました。

東禅寺からの距離は、約3km。
バス停から乗り換える方法を考えるのも難しかったので、歩いて向かうコトにしました。

40分程度歩き続け、なんとか浄名院に到着。気がつけば、スッカリ暗くなってしまいました。

しかし、どこからも入るコトができません。
東禅寺が閉まっていた辺りから、うっすら感じてはいましたが、コチラも閉店時間の様子。門にある呼び鈴を押してみたものの、壊れているようで音がなりません。

インターネットの情報によると、こんな地蔵様が居るそうです。

仕方ないので外から覗いてみると、想定していたよりも立派な地蔵様が居るコトが判明。オリジナルより小ぶりなものの 2mはありそうです。
かなり小さな地蔵を想像していたので、これは予定外。なんとか写真に収めたくなってきました。

そこで、塀の周りをグルグルし、なんとか地蔵が見える位置を探すコトに。
裏の塀は思っていたよりも高く、なんとかよじ登るものの、肝心の地蔵様をみるコトができません。遠くから見るには、暗くなりすぎてしまったようです。

…と、諦めていると後ろから声をかけられました。
「君たち中に入ろうとした?」

もしかして寺の人!?と思って振り返ってみると、警察の方でした。どうやら不審者と思われたらしく、そっこー通報されてしまったようですw

とりあえず事情を話してみるものの、事情聴取されたコトは言うまでもありません。


…というコトで、最後の 1体は見逃してしまったものの、オリジナル 5体は確認できた「江戸六地蔵参拝計画」。
最後は失敗してしまいましたが、久々にかっぺ東京探検隊の活動ができたというコトがなにより嬉しく、楽しい1日となりました。

また、近い将来に活動できるコトを祈りつつ、今日はこの辺で失礼いたします。^-^/~

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コメント

(名前) (2007/10/26 15:46)

浄名院は何街道の地蔵尊として名乗りを上げてましたか?

岩崎 仁 (2007/10/27 02:20)

コメントありがとうございます。

浄名院は何街道なのでしょうか?
写真の通りの暗闇で見るコトもできずの状態だったので、そこまで調べるコトはできませんでした。

ただ、既に街道を見守るような様子はなく、ちゃんとした街道は設定されていないような気がします。なにか情報があったら教えてください。

江戸六地蔵研究者 (2008/08/21 10:27)

浄名院さまの地蔵さまを江戸六地蔵尊の一つとしてお考えにならない方が宜しいのでは・・・
是非、赤坂にある浄土寺さまのお地蔵様をお参りされる事をお勧めいたします。とにかく行かれると納得が出来ますよ。

岩崎 仁 (2008/08/21 12:22)

>江戸六地蔵研究者さん
コメントありがとうございます。

浄名院を江戸六地蔵尊の1つと紹介しているページは少なくないですよね。サラリと調査しただけだったので、鵜呑みにしていました。
機会があれば、浄土寺に行ってみたいと思います。ご紹介ありがとうございました。

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